ハロプロ雑記

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【書評】美術でめぐる日本再発見 -浮世絵・日本画から仏像まで-

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夜遅くにビジュルム聞いてたら発売日!って言ってたので慌てて近所の本屋さん数件に在庫確認の上自転車20分ほど漕いで買ってきました。自転車圏内で結構なものが揃うのは地方都市の良いところじゃないかと。中目黒に住んでたら無理だもん。多分。

本文1ページ目を開いて、まず笑いました。想像を超えた文章量。B5版くらいのサイズに、割と文字ぎっしり。ただ、全110ページ程のうち後ろ半分は、あやちょの激キャワ写真集なので、トータル2時間ほどで全部読めました。浮世絵を中心に、日本の美術作品を20点紹介する構成。各作品に4000字程度の感想が書かれてる感じ。言葉がすこーーしおかしな所とかがあって、それが逆に、本人の言葉らしくて良かったです。

読んだ感想。すごい。和田さんが好きな人と美術が好きな人は読むべきだし、ひょっとしたら絵を描いてる人が読んでも良いかも。絵を描く、作品を作るという行為に対しての絶対的な愛が詰まっているので、勇気をもらえると思うし、なぜ描くのか、作るのかと考える際に、ポジティブなエネルギーをもらえると思います。あと、好きなものがある人が読んだら何かを好きになるって事のパワーを再確認できると思うし、好きなものが無いと悩む人は何かを好きになる方法論みたいなものが分かるかもしれません。結果誰でも読むと良いよ!良い本だと思います。以下感想。ネタバレもあるかもなので、気にする人は読まないほうが良いです。

まず共感できたところ。和田さんは浮世絵が美術作品ではなく商品、消費されるものだったという事を繰り返し、好意的に書いてて、それは僕が映画に対してもった感動と同じかなーと思いました。映画ってのは興行師が「絵が動いたら人集まるんじゃね?金になるんじゃね?」ってとこから始まったものだという事を大学で教わって、すごく嬉しかったのを思い出します。それは浮世絵が版画=プリントとして量産されるものって所に起因していて、フィルムが量産できるという事と同義です。

そうやって、消費される事に意味があるものとして成立している表現が、だからこそ時代の空気を敏感に写し取り、エネルギッシュで、それが故に「作品」として時代を超えた価値を獲得していくという事実。その事実を、アイドルという消費財である自分に重ねて、時に励まされたりしつつ、自分の言葉で語っていく。というのが、本書の一番の魅力だと思います。「浮世絵は生写真、江戸の人はヲタク」という捉え方は、多分プロデューサーである櫻井さんの勝算でもあっただろうし、さらにその事をポジティブに捉えられる和田さんの想いを、形にして残したいと思わせたポイントだったのかなとか。あとがきにある、櫻井さんが和田さんに遺した言葉が、愛に溢れていてとても良いのです。改めて、ご冥福をお祈りします。

で。

読んでみて、開始数ページで、僕は泣きそうになりました。今までビジュルム聞いてて泣きそうになったりしてたんだけど、その感情がぎゅっと濃縮された感じ。それは、自分の好きなものに対しての愛を、こういう形で伝えられるという事に対する、尊さを感じたからです。

僕は映画と最近はハロプロが好きなのだけど、とてもこういう風に愛を語れないと思います。それは、「僕が好きなものを僕が好きなように好きな人はいないなぁ」と、どこかで諦めちゃってるからです。と言いつつ、諦めきれない自分がそれでも伝えたいとジタバタしつつ書いたり作ったりしている訳で、むしろそれこそが僕が頭と手を動かす動機になってるってのも間違いないので、僕はそれで良いのだけれども。

だけど、その愛をこうもまっすぐ、丁寧かつ軽やかな文体で表現できて、それを多くの人に届けられるという事は、やっぱりとても眩しく感じます。尊い。私は絵は描けないと割り切って、自分のできる事を続けた結果、櫻井さん他たくさんの理解者と出会い、ラジオや本という形で世に出せたという事実。本当に、しみじみと、良かったねぇ...;;と。和田さん自身のあるべき姿に近づいていると感じて嬉しくなります。願わくばそれが、アイドルをやめるという決断に繋がらないと良いのだけども。でも、多分心配しなくても良いんじゃないかなぁ...と思える内容でもありました。

この本を読んでいると、「こういう風に浮世絵を、美術を楽しめば良いのか!」という発見はたくさんあります。和田さんがよく言う、「素直に楽しんで欲しい」という言葉を丁寧に解説した感じ。東海道五十三次のあの絵は、旅人がすれ違う一瞬を切り取った絵だというのとか、初めて気付かされました。そういうのがいーっぱい。そんな観察から広がるたくさんの妄想は、「わかるわかる!」ってものもあれば、「なるほど!」と思わせられるものもあって楽しかったし、鋭い分析や知見も随所にありました。例えばという事で、一つツイート引用。

 ↑最近見かけたツイートなのだけど、和田さんは本書の中で、広重の絵を模写したゴッホの心情を推理し、「私がプラチナ期のモーニング娘。の踊りを一人で踊ってるのと根源的には一緒、その対象を理解したいから真似するんだ」と妄想します。「日本再発見」というタイトルの本で、安易に「日本すごい!」と書いちゃわず、素直に丁寧に作家に想いを馳せ、自らの体験に引き寄せて語る姿勢は、とても素晴らしいと思います。また当時のゴッホの厳しい境遇を踏まえ、「ゴッホはニッポンに新しい居場所を見つけたんじゃないか」と推理するくだりにはハッとさせられました。耳を切り落とした作家という事実と、浮世絵を収集した作家という事実は知っていても、それをこういう風に繋げられるというのは、そこに愛があるからこそです。

以前ビジュルムで、アイドルは芸術か?という質問に和田さんが答える場面がありました。和田さんはそこで、「CDは記録、私にとってはステージこそがアート」というような事を言っていました。僕はその時、「アイドルは本人こそが芸術じゃないかなぁ」と感じたのですが、この本を読んでその想いを一層強くしました。

読んでみてどうしても感じるのが、この本はひょっとして、アイドルの楽しみ方を語っているようにも読めるんじゃないか?という事です。喜多川歌麿をアイドル専門の売れっ子フォトグラファーに例えたりしてるので当然かもですが、それ以外にも、本人に自覚は無いにせよ「私は消費財であった浮世絵をこのように愛しています。あなたはアイドルを、私をどのように愛していますか?」と問われているように感じてしまいます。

もっと言うと、このメタ構造、実は櫻井さんの狙いの一部でもあったのではないかとすら感じます。メタ読みってあんまり好きじゃないんですが、でもあの「雪中相合傘」評を一番最初に持ってきたのは、やっぱりそういう事じゃないかなぁ。あとがきの櫻井さんの言葉が、やっぱり印象的。どうしても、「芸術としての和田彩花を、最も美しい形で残していく」という意志を感じます。櫻井さん、どうでしょうか。

この本は、間違いなく良い本だし、情報としても価値を持っていると思うのですが、その一番の魅力は、上に挙げたような和田さん自身の感性の鮮やかさにあると思います。知識やルールに縛られず、自由な妄想を楽しみ表現する事ができる鮮やかさ。愛や感情、感性を伝えるために技術に頼るのではなく、素直である事が最大の力になる状態。宇多丸師匠のいう「実力を魅力が凌駕している状態」。それは実力の拙さを肯定する言葉ではなく、魅力を実力で説明できない状態を示す言葉です。その状態に、僕はアイドルの芸術性を感じます。

この本を読んで、蒼天航路 最終巻の、曹操による関羽*1を思い出しました。また茨木のり子さんの詩にある「自分の感受性を自分で守り、思想や学問に倚りかからず立つ姿*2」を見た気がしました。後ろ半分の写真集部分は、正直まだしっかり見てません。ボリュームたっぷりだしチラ見した感じめっちゃ可愛いのばっかりだったのですが、文章部分だけで相当満足しちゃってます。書かれていた作品も実際に見てみたいと思ったし、今後もなんども開く本になったと思うので、写真部分もゆっくり見ていきたいです。

美術でめぐる日本再発見 - 浮世絵・日本画から仏像まで -

美術でめぐる日本再発見 - 浮世絵・日本画から仏像まで -

 

以上です。とても面白かった。今回のエントリーが3800文字くらいなので、このくらいのテキストが20本詰まってます。素晴らしい。ということで、最後に本の中から写真を一枚。ほんと、たくさんの人に読んでほしいなぁ。とりあえずあいつとあいつに読ませたいな。読むかな。

https://www.instagram.com/p/BC3kT4BmXq0/

ほんとこれ。#和田彩花

*1:「侠の塊のような男が侠そのものになり、やがて侠を越えていく。それは関羽としか呼べぬものだ。」みたいなやつ。

*2:茨木のり子・感動の詩