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ハロプロ雑記

アコカツモジキ

【秒刻みレビュー】 わたし

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ついにこの曲を秒刻む時が来た。作詞曲を歌うまろ。下手なレビューは人格否定になる。最新の注意を払って刻まねばなるまい。

好きなところ

0:12 帰ってきたシンデレラ。

0:26 ガラスの靴を眺めながら何か書き綴るまろ。ファンシーなルックに惑わされがちだが分かりやすい暗示。

0:30 柄だけでなく色もピンクのペン。実際の作詞活動もこうであって欲しい。要求されたお題にあわせてペンの色を変える、とかはやってそうな気がした。

0:38 歌詞をつづるまろ。手がむちむちしててかわいい。

0:44 お得意の目線はずし。

1:00 「有名大学に通ってるとか、大手企業に勤めてますとか、言葉にするだけでなんかちょっと その姿がかっこよく見えちゃうもの」ド直球。これをどの位信じているんだろう?なんか、「結局そうだよね」と本気で信じてそう。この20歳の福田花音のリアルと、後に続くファンタジーとしての「綺麗事」のコントラストの中に、本当の現実があるんじゃないかなと思う。

1:36 「肩書きも、才能さえも」という主従関係が興味深い。肩書きよりも才能がより低レイヤーにある、肩書きは才能の上に成り立つという世界観。それは例えば「アイドル」という肩書きと「かわいい、歌がうまい」という才能を指すんだろうか。

1:37 アップかわいい。

1:52 才能、肩書きを取り払ったところに、本当の自分がいるという自意識。その三者はどれだけ分かちうるものなんだろう。

2:06 ガラスの靴を眺める視線の優しさと寂しさ。

2:25 この、2番目?の導入部が、個人的には一番興味深い。人は"誰だって"良い肩書きがほしい。それを言わないのは恥ずかしさやプライドといった自意識があるからだ。という歌詞。それは例えば、和田彩花でもそうなのだろうか。一番の戦友であると同時に憧れの対象でもあったはずの和田彩花を、「誰だって」の中に含んでいるのかどうか。含んでいるとして、和田彩花本人がどうなのか。福田花音にどう見えていたのか。

2:42 「多少は」とか「はず」とかそういう曖昧さを強調する言葉は、文章の中では保険としての機能を持つ。私はこうだ!と言い切る自我の前に、一般論を語り共感を求める姿勢。これは社会人としては大人な態度かもしれないが、表現者としては幼さ。ここに一本の評価軸が生まれたと思う。今後どうなっていくかに期待。

2:52 「こういうことは口に出して言うものではないんだけど」これもまた、共感を求める自意識が働いた言葉。これが成熟すれば例えば、魚喃キリコの線の儚さや余白に通じる効果を生むのかもしれない。

3:05 「肩書きの無い私を想像してみて」という言葉の直球さ。自意識の揺れを感じてとても愛おしい。ここから続く歌詞はヲタとして覚悟を問われている部分。そんな歌詞を、自分で歌うという事が明らかな状況で書いた福田花音。その心中では、つんく♂、スタッフさん、業界関係者、アイドル友達、非アイドルの友達、ヲタ、アンジュメン、和田彩花などなどのうち、誰の存在が最も大きかったのだろう。それは誰に向けての言葉か?という疑問ではなくて、「リスナーにこういうメッセージを届ける私」を誰に見られるつもりで書いたのか、ということ。そしてこの歌詞を、作詞活動や素直さへの敬意、技術の無さ、自信、不安、影響力、そういったものがどういう比率でブレンドされた状態で書いたのか、ということも気になる。

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3:32 「明日からは」からの部分が果てしなく愛おしい。一番上手いこと言ってる部分。想いじゃなく事実だから、一番言い訳、曖昧さを必要としないフレーズなはずで、それをラストに持ってくるというアイディアは、それが効果的であると同時に、とってもかわいさがある。それはこのMV最後の「ありがとう」って口パクさせてるところと同じ。マクロな視点で語られた自我を、最後の最後でミクロに落とす。今この時の希少性こそが最大のリアルであるという、20歳の女の子らしさを感じられるフレーズだと思う。

総評

すごく良い歌詞でした。若さに溢れてる。「荒々しくて率直で、未完成で。福田さんの切り出したばかりの原石を、しっかり見せてもらいました。よくがんばりましたね。あなたはステキです。*1」というと言い過ぎかもだけど。単体としても十分読み応えあったし、今後も楽しみだと思います。