ハロプロ雑記

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ヲタ会中間報告(娘。の中長期的な展望について)

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話が合いよくヲタ会を催す娘。ヲタのヲタ友さんがいるのだけど、だいたいにして「中長期的な娘。の展望が見えないんだよね」という話になる。4/8の娘。金沢コンに参加して僕も同様の感想を持ったので、この半年ほどで話した内容をざっくりとまとめてみる。
 
ということで、以下まとめ(=妄想)
 
SATOYAMAムーヴメントというのは、それのみにとどまらず、ハロの大方針に通じるプロジェクトなのではないかと思う。それはつまり「東京から地方へ」といった世の中の大きな流れに即した方針であり、「トップダウンで少女をコントロールする昭和時代のアイドル像」から「自主性を持った少女たちによる能動的なアイドル像」へのハロプロアイドル像の変化と相互に影響している。
 
この変化は、ハロプロがテレビ中心の活動→Youtubeによる自主的な情報コントロールに移行した(移行せざるをえなかった)ことや、つんく♂さんが一線を引くことを余儀なくされ、「みんな知ってるハロプロのプロデューサー」という立場の人間がいなくなったことともリンクする。全てハロが中央集権から地方分権へと移行する大方針に即している。
 
こういった変化の結果レジェンド化したのが道重さゆみであり、今レジェンド化しつつあるのが矢島舞美和田彩花である。元来プロデューサーが担っていた最大の仕事はグループに方向性を示す事であり、その役目を引き継いだ三者はそれぞれ、道重「今のモーニング娘。を世に知らしめる」、矢島「武道館、SSAでのコンサートを達成する」、和田「モーニング娘。を超える」という目標を掲げた。
 
道重、矢島は目標を達成することとなり、その後はグループとしての新たな目標を設定するのではなく、そこをグループ長としての仕事の終着点と考えた。和田はより目標を純化させ、「私(達)の考えるかっこいい表現を追求する」という目標を新たに設定している。これは和田の強力なアイドル力と独特な感性があって初めて設定しうる目標であり、グループの不安定な来歴を飲み込む個性がなければ成立しない。ここで不安定の上に成立する魅力という意味で、語弊を恐れず敢えて、アンジュはロックなグループだ!と仮定する。
 
ここでJuice=Juiceに目を向ける。J=Jは最初期以降離脱者もおらず、またハロ内で最も高いスキル/ビジュアル平均値を持ったグループであることから、確実に点を取ことのできるプロフェッショナルなグループであると言える。220公演からの武道館公演、海外ツアーと言った過酷ながらも真っ当な右肩上がりの成長物語は、そういったJ=Jの性格を反映したものである。
 
こういった「正しくスキルを伸ばした結果正しくスケールアップする」というモデルは、研修生制度を有するハロプロにとって必須である。アンジュのように「娘。を倒す!」といった大言を吐くこともない。そういう意味で、こちらも語弊を恐れず敢えて、J=Jは優等生なグループだ!と仮定する。
 
ロックなアンジュ、優等生なJ=Jという仮定が生まれたところで、現在のモーニング娘。について考える。道重以降、新たなモーニング娘。の中心となるはずだったのが鞘師であろう。中心とはつまり方向性を示す存在であり、鞘師の無言の牽引力、説得力と譜久村の包容力が、新生モーニング娘。の基盤であったというのは、想像に難くない。*1しかし理由はともかく、鞘師は卒業を選んだ。
 
新たな方向性を指し示す内部の存在を失った娘。の次善策が「伝統を守り、育てる」であったと考える。伝統とはつまり、20年間の間に蓄積した曲であり、ストーリーであり、知名度であり、プライドである。これらの要素を統合するイメージが、「お茶の間のキングだったモーニング娘。」である。
 
このイメージはメンバーの中にもヲタの中にもあり、かつ必ずしも古参ヲタ特有のものとは限らない。メディアの中のモーニング娘。は未だに「あのお茶の間のキングだったモーニング娘。」として扱われており、必然新規ヲタ、新規メンバーもそのイメージを持ってモーニング娘。を見ることとなる。
 
伝統を守り、育てるグループという仮定の中には、アンジュ、J=Jの仮定以上に、たくさんのメリット、デメリットが存在する。今日までにかけられた圧倒的なリソースによる知名度は、直ちに娘。のチャレンジングな行動を制限し、かつ個人に経験値以上の成果を求める。そのストレスやプレッシャーが、10代の少女にとって相応しいものであるかという議論はここでは避ける。
 
これらのメリットとデメリットは等価か、メリットの方が上回っていると考えるべきであり、だとすれば伝統を守るという目標は、価値あるものであるとせざるを得ない。アンジュルムスマイレージの名を捨てることで、メリットと同時にデメリットも捨てることに成功した。オリジナルメンバーがいたということももちろん成功の理由だろうが、最大の理由は娘。ほどかけられたリソースが多くなく、まだ捨てることができる規模だったということだろう。
 
しかしここで、見逃してはいけない事実がある。娘。が守らなければいけない「伝統」の中にある非常に大きな要素として、「顔の見えるプロデューサー=つんく♂さん」の存在が確かにある、という点だ。娘。の曲の大部分は今尚つんく♂さんが手がけたものであり、その物語の転換点には常につんく♂さんの存在があった。更に言えば、知名度もプライドも、つんく♂さんの存在が担っていた面が大きい。
 
これをもって、つんく♂さんの復帰が必要と言いたいわけではない。ここで確認したいのは、「娘。という形の中に、顔の見えるプロデューサーの存在は必須なのではないか?」という疑問である。プロデューサーの存在無くしてこの規模まで成長したアイドルグループは他にない。PerfumeにせよももクロにせよAKB/坂道グループにせよ、知名度において娘。と並ぶアイドルグループには、みなプロデューサーの存在がある。
 
アイドルはプロデューサーの作品である、という視点は、ある面で真理でありながら、そこに挑戦をしているのが現在のハロー!プロジェクトであ、るというのが、このエントリー前段の主題である。しかし、今娘。が選びつつある「伝統を守り、育てる」というコンセプトはそもそも、プロデューサーの存在を内包している。ここに、娘。最大の矛盾がある。自ら目標を設定し行動する形態を取りながら、その目標の中には目標を決定する他者の存在がある、という矛盾である。ロックなグループ、優等生なグループと比較した時のビジョンの見えなさは、ここに由来しているのではないか?という提案を設定し、本エントリーの結びとする。
 
と、こんな話をしたりしています。あぁ楽しい。めんどくさい。ヲタクという人種は本当に。

6:27 追記
これにも関連すること書いてました。

*1:この三者を指して、ハロプロ村においてアンジュはベンチャー、J=Jは村営、娘。は第三セクターと話したりしている。第三セクターのトップは調整役に徹し、内部の活きの良いメンバーがグイグイ引っ張るというのはよく見かける図式。